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◆柳生の里 観光パンフレット [ 2 ] 奈良市柳生観光協会・奈良市経済部観光課発行

柳生の里観光パンフレット

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■柳生新陰流

石舟斎宗厳は戦国末期、上泉伊勢守について親しく新陰流の秘伝を授けられ、新たに無刀の術を究め、柳生新陰流を創始した。
その子五男・但馬守宗矩は将軍家の兵法指南役として秀忠・家光に柳生新陰流を教授し将軍側近をつとめ、
一万石余で大名の列に加わり、後に大目付けの要職についた。
宗矩は更に沢庵禅師について禅の修業をつみ、剣禅一如の崇高な剣の道の境地をひらいた。
宗矩の長男十兵衛は文武両道に優れた一世の剣豪である。諸国漫遊の旅に出て各地を遍歴すること10年、
柳生に帰って道場を開き全国の門弟一万三千六百余人を教え、柳生新陰流の奥義「月之抄」を書きのこしている。


■旧柳生藩家老屋敷

道の西側に見える豪華な石垣は、もと柳生藩財政の立て直しをした家老小山田氏の屋敷で石垣に天保12年(1841)尾張石工が
築いたと記している。柳生藩を知るうえに貴重な資料といえよう。
昭和31年人の手に渡ったが昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、昭和46年放映のNHK大河ドラマ「春の坂道」も
ここで構想が練られた。昭和55年山岡荘八氏の遺志により遺族山岡賢二氏夫妻から奈良市へ寄贈された。
奈良市は、昭和56年これを修復し主屋の一部に資料を展示、一般に公開した。


■十兵衛杉

柳生下町の丘の麓にそびえる老杉があった。それを十兵衛杉とよんでいた。
寛永3年、独眼竜柳生十兵衛三厳が諸国漫遊に旅立つ際、先祖の墓にまいり、この杉を植えたといわれる。
樹齢約350年余を経て今は落雷の為、枯れてしまった。


■一刀石

戸岩谷にある約7m四方ほどの巨石で中央から2つに割れている。
柳生宗厳の修行中この戸岩谷にわけ入ったところ天狗がいたので試合をした。
その時、宗厳が一刀のもとに天狗を切り捨てたと思ったが、刀はその場にあった巨石を2つに割っていた。
これを後世一刀石と呼ぶようになったという。


■ホウソウ地蔵

ホウソウ地蔵の右下に、たどたどしい文字で「正長元年ヨリ サキ者 カンヘ四カン カウニ ヲヰメアル ヘカラス」と
書かれた碑文がある。
正長元年(1428)より先は、神戸四ケ郷に負債あるべからずと判読され、全国まれな徳政碑文といわれている。


1万㎡の大花園に、80万本のしょうぶの大パノラマ。
■柳生花しょうぶ園

柳生の里に可憐な彩りのしょうぶが群生している「柳生花しょうぶ園」。
ここから陣屋跡、芳徳禅寺、家老屋敷へ、ゆっくりと初夏の柳生の里の1日をお楽しみ下さい。
●6月初旬から中旬にかけてが見頃です。

■お問い合わせは…
柳生花しょうぶ園
TEL.0742-94-0858
(期間中のみ)

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