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◆柳生の里 観光パンフレット [ 1 ] 奈良市柳生観光協会・奈良市経済部観光課発行

柳生の里観光パンフレット

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平安時代から鎌倉・室町・江戸時代にかけて彫られた数々の石仏に見送られてやがてたどり着くのが山あいの里、柳生。
吉川栄治の小説「宮本武蔵」やNHK大河ドラマの舞台として脚光をあびてきた山里。
そして、今も変わることがない大自然のなかで剣豪たちの声が聞こえてくる。
武蔵が二度も訪ねたが、手合わせが叶わなかったというという柳生石舟斎をはじめ宗矩、十兵衛、荒木又右ェ門などの
剣豪が何を思い何を夢みて、この道を歩いたのであろうか。


■芳徳禅寺

神護山芳徳禅寺という。
寛永15年柳生但馬守宗矩が、亡父石舟斎供養のため創建、以後柳生家代々の菩提寺である。
但馬守の友人、沢庵禅師の開基で柳生の里を一望に見おろす山王台上にある。
ここはもと柳生家の居城といわれ、石段、掘り割り、見張り場など、かきあげ城の名ごりを今にとどめている。
山王台は自然がつくりだした天守閣なのである。
争乱の世に、大和、山城、伊賀の国さかいに位置し戦国幾内の動静をうかがうのに、最適の地といえる。


■旧柳生藩陣屋跡

「柳生藩旧記」によると柳生宗厳の屋敷は紅葉橋付近にあったが、柳生但馬守宗矩が亡父宗厳の菩提を弔うため
寛永15年(1638)に芳徳禅寺を建て、引きつづき正木坂の上に陣屋の建築をはじめ3カ年を要して同19年(1642)に完成、
その後宗冬が増築、設備をととのえたとある。
陣屋は延享4年(1747)に全焼し、仮建築のまま明治維新を迎え、柳生藩庁舎となったが、その後公売された。
今は当時の陣屋をしのばせる史跡公園として整備され、休憩・散策のできる憩いの場となっている。


■柳生家墓地

芳徳禅寺の北方50mの裏山、松林の中に柳生一族の墓所がある。
柳生但馬守宗矩の墓石を中央に、石舟斎宗厳、十兵衛三厳、飛騨守宗冬など、80数基の歴代墓石が苔むし整然として並んでいる。
そのなかに酒だるの台、とくりの塔、さかずきの笠という柳生俊睦(八代藩主の二男)乏斎の墓石は人目をひいている。


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