<< 剣豪の足音が聞こえる・・・柳生浪漫街道 >>
■芳徳禅寺
神護山芳徳禅寺という。
寛永15年柳生但馬守宗矩が、亡父石舟斎供養のため創建、以後柳生家代々の菩提寺である。
但馬守の友人、沢庵禅師の開基で柳生の里を一望に見おろす山王台上にある。
ここはもと柳生家の居城といわれ、石段、掘り割り、見張り場など、かきあげ城の名ごりを今にとどめている。
山王台は自然がつくりだした天守閣なのである。
争乱の世に、大和、山城、伊賀の国さかいに位置し戦国幾内の動静をうかがうのに、最適の地といえる。
■旧柳生藩家老屋敷
道の西側に見える豪華な石垣は、もと柳生藩財政の立て直しをした家老小山田氏の屋敷で石垣に
天保12年(1841)尾張石工が築いたと記している。
柳生藩を知るうえに貴重な資料といえよう。
昭和31年人の手に渡ったが昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、昭和46年放映のNHK大河ドラマ
「春の坂道」もここで構想が練られた。
昭和55年山岡荘八氏の遺志により遺族山岡賢二氏夫妻から奈良市へ寄贈された。
奈良市は、昭和56年これを修復し主屋の一部に資料を展示、一般に公開した。
■十兵衛杉
柳生下町の丘の麓にそびえる老杉があった。それを十兵衛杉とよんでいた。
寛永3年、独眼竜柳生十兵衛三厳が諸国漫遊に旅立つ際、先祖の墓にまいり、この杉を植えたといわれる。
樹齢約350年余を経て今は落雷の為、枯れてしまった。
■一刀石
戸岩谷にある約7m四方ほどの巨石で中央から2つに割れている。
柳生宗厳の修行中この戸岩谷にわけ入ったところ天狗がいたので試合をした。
その時、宗厳が一刀のもとに天狗を切り捨てたと思ったが、刀はその場にあった巨石を2つに割っていた。
これを後世一刀石と呼ぶようになったという。
■旧柳生藩陣屋跡
「柳生藩旧記」によると柳生宗厳の屋敷は紅葉橋付近にあったが、柳生但馬守宗矩が亡父宗厳の
菩提を弔うため寛永15年(1638)に芳徳禅寺を建て、引きつづき正木坂の上に陣屋の建築をはじめ
3カ年を要して同19年(1642)に完成、その後宗冬が増築、設備をととのえたとある。
陣屋は延享4年(1747)に全焼し、仮建築のまま明治維新を迎え、柳生藩庁舎となったが、その後公売された。
今は当時の陣屋をしのばせる史跡公園として整備され、休憩・散策のできる憩いの場となっている。
■柳生家墓地
芳徳禅寺の北方50mの裏山、松林の中に柳生一族の墓所がある。
柳生但馬守宗矩の墓石を中央に、石舟斎宗厳、十兵衛三厳、飛騨守宗冬など、
80数基の歴代墓石が苔むし整然として並んでいる。
そのなかに酒だるの台、とくりの塔、さかずきの笠という柳生俊睦(八代藩主の二男)乏斎の
墓石は人目をひいている。
■ホウソウ地蔵
ホウソウ地蔵の右下に、たどたどしい文字で
「正長元年ヨリ サキ者 カンヘ四カン カウニ ヲヰメアル ヘカラス」と書かれた碑文がある。
正長元年(1428)より先は、神戸四ケ郷に負債あるべからずと判読され、全国まれな徳政碑文といわれている。
1万㎡の大花園に、80万本のしょうぶの大パノラマ。
■柳生花しょうぶ園
柳生の里に可憐な彩りのしょうぶが群生している「柳生花しょうぶ園」。
ここから陣屋跡、芳徳禅寺、家老屋敷へ、ゆっくりと初夏の柳生の里の1日をお楽しみ下さい。
●6月初旬から中旬にかけてが見頃です。
■お問い合わせは…
柳生花しょうぶ園
TEL.0742-94-0858
(期間中のみ)
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