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◆柳生の里 旧家老屋敷パンフレット [ 2 ] 奈良市経済部観光課発行

柳生の里旧家老屋敷パンフレット

■庭園

玄関正面の前庭と、主屋の北面から東面に矩折に展開する奥庭とから成る。
作庭にあたって大阪の茶人木津宗詮の指導を受けたと伝え、大小24基の灯籠が配置されていたという。
奥庭には、手水鉢あとの石組のほか、各所に景石が残されていて風情がある。
カエデ・カシ・モチの巨木は、樹齢200年を数えるとみられる。修復にあたっては、できるだけ原形をとどめるよう意を用いた。


■山岡荘八(やまおかそうはち)

明治40年(1907)~昭和53年(1978)新潟県北魚沼郡小出町の農家の生まれ。本名藤野庄蔵。
昭和8年(1933)みずから編集長となって「大衆倶楽部」を創刊、翌年山岡荘八の筆名で「佐渡の紅葉山人」を発表して文筆活動にはいった。
昭和15年(1940)長谷川伸の新鷹会に加入、昭和17年(1942)従軍記「海底戦記」「潜艦同乗記」によって野間文芸奨励賞を受け、
翌年には典型的な時局小説「御盾」を著した。
戦後も、昭和25年(1950)から17年の歳月をかけて大作「徳川家康」を完成するなど、引続き多彩な創作活動を続け、
昭和42年(1967)に長谷川伸賞、翌3年に吉川英治文学賞を受賞した。
他方、日本ユースホステル協会会長をつとめるなど、社会教育にも貢献するところがあった。
昭和39年(1964)この家老屋敷を買得、以後しばしばここに滞在した。
昭和46年(1971)NHKから放映されて柳生ブームをおこすことになった大河ドラマ「春の坂道」の原作も、
この屋敷でその想を練ったものといわれる。


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